東京地方裁判所 昭和31年(ワ)6806号 判決 1967年8月15日
原告 茨城県農業共済組合連合会
右訴訟代理人弁護士 小田久蔵
他二名
被告 国
右指定代理人 古館清吾
他四名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の申立
一、原告は次の判決を求めた。
(一) 被告は原告に対し金三二、一六四、二六七円および右金員に対する昭和三一年九月一四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
(二) 訴訟費用は、被告の負担とする。
二、被告は、主文同旨の判決を求めた。
第二、原告の請求原因
一、(一) 被告国は、農業災害補償法に基き、都道府県農業共済組合連合会(傍点部分を農共組連と略称する。以下これにならう)およびその傘下の市町村農共組連の事業遂行に要する諸経費を毎会計年度予算の範囲内で負担補助し、農業共済事業事務費負担金および家畜共済事業事務費負担金なる費目のもとに都道府県農共組連に一括して割当交付しており、その事務は、他の法令に基き同じく国庫より農業共済団体に対して割当交付さるべき事務費、補助金等とともに農林省に所管せしめ、同省農林経済局農業保険課団体班事務費係において国庫負担金なる名称で一括取扱っていたところ、同係農林事務官として右国庫負担金の割当交付事務を担当していた多久島貞信において、かねて職務上知合い親交のあった原告連合会経理課職員薗部尚一らと結託し、金券詐取の方法により昭和二九年六月二日頃から同三一年三月九日頃までの間に前後十数回にわたり国庫負担金に充てるべき国庫金のうちから合計金七八、九五一、八二二円詐取したため、国庫金に不足を来し、同三一年四月に入るも、同三〇年度の予算をもって埼玉県農共組連に割当てられた国庫負担金二〇、七八九、四一六円および兵庫県農共組連に割当てられた国庫負担金一二、八〇六、四三四円がいずれも未交付のまま放置され、そのため多久島の直属上司たる農業保険課長のもとに右両県農共組連から国庫負担金交付の催促がなされるに及んだ。
(二) ここにおいて右犯行の発覚をおそれた多久島は、当面を糊塗して犯跡を隠蔽するため、同三一年四月一四、五日頃以降原告連合会経理課長大津茂に対し「農林省の手違いで国庫負担金の予算に不足を生じたが、新年度の予算で同年五月末日までには確実に返済するから、原告名義で銀行から金三、五〇〇万円程度の融資を受けてこれを一時農林省に融通して欲しい」旨を申入れたところ、大津は、原告のためにかかる行為をなすべき何らの権限をも有しなかったにかかわらず、原告会長の承諾をえているとの多久島の巧言を軽信し、結局はこれを自己の一存で承諾するとともに、経理課長の地位にあるのを奇貨として、上司の決裁を受けることなく、ほしいままに原告会長の職印を使用して原告振出名義の金額一、九四六万円および一、五〇〇万円の約束手形二通を作成した。
(三) そして、(1)大津はまず右約束手形の一通を用いて同年四月二七日三菱銀行水戸支店から、独断で原告名義をもって金一、九四六万円を借受けた。ところで右大津の行為はまさに無権代理行為ではあるが、原告は大津に対し経理課長として原告のなす農業再保険金支払等のため銀行その他の金融機関から融資を受け、或いはその返済をなすべき事務を担当せしめ、これに関して原告会長の職印を使用して原告名義の約束手形を振出す権限を附与していたため、同人の右権限踰越による金員借入につき相手方たる銀行において同人が原告を代理すべき正当な権限を有していたものと信じるにつき正当な理由がある限り、民法第一一〇条の表見代理の法理により原告はその責任を免れえないところ、本件の場合相手方銀行に大津の代理権限の認識につき過失ありと認むべき形跡は全く存しないから右借入の効力は結局原告に及ぶといわざるをえない。
(2) しかして、大津は、同日右借入金を資金として同銀行同支店から同銀行本店を支払人とする金額一九、三五七、八三三円の小切手一通の振出を受け、即日これを持参して農林省に赴き、多久島の指示により、同人立会のうえ、原告の受給国庫負担金のうち手続上の過誤に基き過払勘定になっていた金員を返納するとの名目のもとに、右小切手を情を知らない、多久島の上司たる事務費係長吉井寿登に手交したところ、吉井は、翌二八日右小切手を三菱銀行本店に振込み、同銀行をして右小切手金額に相当する金員を日本銀行国庫の当該口座に振替入金せしめ、かくして、右金員は同年五月一日他の金員と合わせて金二〇、七八九、四一六円とされたうえ、埼玉県農共組連に対し昭和三〇年度分割当国庫負担金として交付された。
(四) <省略>。
(五) かくて、被告国は、右の(三)、(四)いずれの場合においても、原告の財産により利益を受け、これによって原告に損失を及ぼしたものである。
二、しかして、被告の右利得には、いずれも法律上の原因がない。
すなわち、
(一) 大津が吉井係長に手交した前記金一九、三五七、八三三円(以下、本件(1)金員という)については、右金員は、原告が国庫負担金の過払を受けていたとしてその過払金を返納するという趣旨で被告に交付されたものであるが、従来原告が国庫負担金の過払を受けた事実は全くなかったのであるから右金員の授受は法律上の原因を欠くものである。(被告は、右金員は、多久島らが詐欺により国に被らせた損害の一部弁償のために交付されたものであると主張するが、当時は未だ多久島らの犯罪は発覚せず、したがって国は多久島らに対する右犯行による損害賠償権の存在することを認識していなかったから、弁償の観念は相容れない)
(二)<省略>。
三、(一) したがって、被告は、本件(1)金員については、吉井係長においてこれを受領したとき、少くとも右金員が日本銀行国庫の当該口座に入金されたときにおいて、また本件(2)金員については、兵庫県農共組連から多久島に返還され、被告が同人から損害賠償の一部弁済としてこれを受領したものとされたときにおいて、それぞれ法律上の原因なくしてこれを不当に利得し、これにより原告に対し同額の損失を被らせたことになる。
(二) よって、原告は被告に対し、右不当利得金合計金三二、一六四、二六七円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日たる昭和三一年九月一四日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。
第三、請求原因に対する被告の答弁および主張
一、請求原因に対する答弁
(一) 本案前の申立
(1)(2) <省略>。
(二) 本案に関する答弁
(1) 請求原因一、(一)ないし(四)の事実については、原告連合会の経理課長大津茂の無権代理行為につき、原告のため表見代理が成立するとの原告主張を不知をもって争うほか、すべて認める。
(2) 同一、(五)の原告主張は否認する
(3) 同二、(一)、(二)および同三、(一)、(二)の原告主張も否認する。
二、被告の主張
(一) <省略>。
(二) <省略>。
(三) 仮りに、以上の主張が容れられないとしても、被告の本件各金員による利得は法律上の原因なくしてなされたものではない。
すなわち被告は本件各金員を多久島から同人の被告に対する損害賠償の一部弁済として受領したものである。なお大津も多久島が原告主張のとおり国庫金中から合計金七八、九五一、八二二円を詐取するについては、同人と共謀し、或いはこれを幇助して、いわゆる割当金の水増し交付申請ないし二重交付申請の方法により国庫金を騙取することに加功していたものであり、しかも大津は原告連合会の経理課長として、かねて原告の簿外債務および簿外経費支出等合計金五百数十万円を多久島の了解のもとに右騙取金の一部をもって補填していたところから、多久島より右犯行発覚のおそれが生じたことを告げられるや、その隠蔽工作に協力し、原告主張のとおり経理課長の地位にあるのを奇貨として、独断で、原告名義をもって、三菱銀行水戸支店および日本勧業銀行水戸支店から、埼玉、兵庫両県農共組連に割当てられ未交付となっていた昭和三〇年度国庫負担金の額にほぼ相当する金員を借受けて、これを多久島に交付し、同人よりその穴埋めすなわち同人が国庫に加えた前記損害の一部弁償として内密裡に国庫に納入しようとしたものである。
さようなわけで本件(1)金員は、要するに多久島が国に加えた損害の賠償として多久島より国庫に納入されたものであり、国は多久島に対して損害賠償債権を有していたものであるから、その金員がどこから、どのような方法で調達されたものであるかにかかわりなく、当該金員の国への給付は弁済として有効であり、したがって国の右金員の受給には法律上の原因がある。右金員の授受が原告の過払金返納の形式をとってなされたとしても、それはあくまでも国庫納入上の手続の問題に過ぎず不当利得にいわゆる法律上の原因とは実質的関係に関するものであるから、実質関係が多久島の国に加えた損害の賠償にある以上、たとい国庫納入の手続面において実体に合致しないところがあったとしても、それ自体をとらえて法律上の原因を云々することはできない。なお、原告は、本件(2)金員をもって多久島の損害賠償の一部弁済とする旨の前掲三者間の合意は公序良俗に反し無効であると主張するが、その合意はただ右三者間の法律関係を明確にし、併せて国庫金支出の形式を整えるためにとられた形式的措置に過ぎず、被告国が多久島から右損害の賠償を受けるのはあくまでも権利行使に基く措置であるから公序良俗違反といわれるべき筋合にない。
第四、証拠<省略>。
理由
一、まず被告の本案前の申立につき按ずるに、<省略>結局被告の本案前の申立は、採用することができない。
二、そこで進んで本案について判断する
(一)(1) 本件事案の基礎事実たる請求原因一、(一)ないし(四)の事実は、そのうち原告連合会の経理課長大津茂の無権代理行為につき原告のため表見代理が成立するか否かの点を除き、すべて当事者間に争がない。
(2) <証拠省略>を綜合すれば、併せて次の事実を認めることができる。すなわち、
「大津茂は、昭和二八年八月原告連合会の経理課長に就任し、爾来原告およびその傘下の市町村農共組が国から受ける国庫負担金の交付申請ないしその受領、原告傘下の市町村農共組に対する農業再保険の支払ならびにこれがため原告会長の職印を使用し原告名義の約束手形を振出してなす銀行その他の金融機関からの金員借入およびその返済等の経理事務を管掌していたものであるが、その間部下職員の薗部尚一が多久島と結託して、原告が国から受くべき国庫負担金につき、水増し交付申請をしていることを知りつつ、敢えて右不正の交付申請書に決裁印を押捺するに至り、しかも薗部の要請に基き多久島の手を経て送金される水増し交付金を内密裡に受領し、そのうち正規に割当てられるべき金額のみを原告連合会に入金したうえ残余の水増し額を多久島に返還するために操作上必要な銀行口座を、自己個人の名義において秘かに開設し、もって多久島から送金される不正の金員を受領していた。かかる経緯で、大津は、多久島の不正を察知していたのであるが、経理課長として当時金数百万円に及ぶ原告の簿外債務ないし簿外経費支出の赤字を秘密裡に補填することに苦慮していたところから、遂に多久島にはかり、同人の了解をえて、水増し申請による交付金の一部廻付を受けてこれをもって右赤字を解消するに至った。
とかくするうち、昭和三一年四月下旬頃に至り、大津は多久島から、「農林省の予算操作上の手違いにより、埼玉、兵庫両県農共組連に交付すべき昭和三〇年度分の国庫負担金に不足を来したので、新年度予算をもって一ケ月以内に返済するから、とりあえず原告において取引銀行から金三、五〇〇万円程度の金員を借入れたうえこれを一時農林省に融通してもらいたい」との申込を受けたが、その際、大津は右国庫負担金不足の原因は前記の不正な国庫金支出に由来するものであり、かつ、多久島の右金員融通申込の意図は、前記国庫金詐取によりあけられていた国庫の会計上の穴を秘かに埋めて、犯行の発覚を未然に防止するにあることを察知することができた。しかし申込金額があまりにも巨額であったためその応諾に躊躇したものの、多久島から右金員の調達ができなければ前記犯行が発覚するのみならず、不正支出に基く国庫金によりなされた原告の簿外会計の赤字補填の事実も露見し、容易ならぬ事態に立至る旨説得されるに及んで、結局大津は自己の一存で原告名義をもって銀行から右融通申込金を借受け、これを多久島に対し、同人が前記国庫金の穴埋めをするために、交付することを承諾した。
以上のとおりの事実が認められ<省略>他に右認定を左右するに足る証拠はない
(3) 次に表見代理の成否の点に関しては左のとおりに認定される。<省略>
(二) 如上の事実関係に基き原告主張の不当利得が成立するか否かを以下に判断する。
(1) 本件(1)金員(一九、三五七、八三三円)について
本件(1)金員は原告が三菱銀行水戸支店から借受けたことになる金一、九四六万円を資金として同支店において小切手化されたものであり、該小切手は多久島の指図によるとはいえ、原告の経理課長たる大津から割当交付金の過払返納の名目をもって、農林省事務費係長吉井寿登に直接手交され、国庫に納入されたものであるから、原告の右出捐と被告国の利得との間には直接の因果関係があるといいうる。しかしながら、右金員は実質的には多久島が国庫金詐取によりあけた国庫の合計上の穴を秘かに埋めて右犯行の発覚を防止するため大津と相謀って国庫に納入したものであり、本来なら大津が多久島に交付し、さらに多久島から、被告に納入すべきところこれを省略して、多久島がその指図により大津をして直接被告に交付せしめたにとどまるものであるから、法律上の原因の有無は、実質関係に基き、多久島と被告との間について考察すべきである。そうとすれば、多久島がその頃国庫金詐取により国に対して七、八〇〇万円余の損害賠償債務を負っていたことは当事者間に争ないところであるから、これを法律的に考察すれば、多久島が自己の損害賠償債務の一部を右金員により弁済したものと解するのほかなく、その効果は、被告がその当時多久島に対し損害賠償請求権を有することを知っていたか否かによって左右されるものではなく、また国庫納入の形式において過払金返納の名目を用いたとはいえ、それはあくまでも手続面において体裁を整えるためであって、多久島も大津も、その真意は損害の穴埋めにあったことが明らかであるから、右形式のそごは前記納入の損害賠償債務弁済としての効力に影響を及ぼすものではない。
してみると多久島の、ひいては原告の被告に対する右金員の交付には、法律上の原因があるというべきであるから、原告の右金員部分に関する不当利得の返還請求には理由がないといわなければならない。
(2) <省略>
五、以上の次第で原告の本訴請求は、いずれも失当であるから、これを棄却し、<以下省略>。